釣りたいという思いがあるから課題を探し魚と相談し工夫して技術を高めることにつながる。

 昔は、春先からアジやチダイ、5・6月は産卵のために近くに来るイカ、夏から秋にかけてヒラメやカサゴなどのロックフィッシュなどがターゲットにして漁をし、冬は瀬戸内の養殖海苔の仕事に出稼ぎに行く方がたくさんいたが、ここは水深20mくらいの磯根が300mくらい広がり、海底には転石や岩盤が入り組んで良い漁場を形成しているところは全国でもそうそうない。

私は漁師としてこの海だけで食べていける様になりたかった。

ピーヒョロロロと高く澄んだトンビの鳴き声が聞こえ潮の香り漂う宇田港で話をしてくれた漁師歴45年の波田さんは、とても柔和な感じの漁師さんだった。

護岸の整備など子どもの頃と風景が変わったが、変化は海の中にも及んでいる

 専門家じゃないから厳密なことはわからないとしながらも護岸の変化や海水温の上昇などが関係しているのか、イカが減りイカゴ(イカの子ども)も減ることでそれを捕食する青物の魚なども減っている。カジメ、アラメ、ホンダワラなどの海藻も減り、波に晒され海底の砂利が動くとその上の大石までもが動かされる。そうすると3年も4年もの間、その石にはアワビが寄り付かなくなる。ここ数年、アジも減ってきている。秋の大澄みといい、夏から秋にかけて海が澄み渡るという現象も見られなくなってきた。

一本釣りだけでなく海士としても潜る波田さんからは、漁獲量が減っているなど報道から知る情報と違い海の中で起こっている詳細な変化を聞くことができる。

それでも漁師をやめられないのは、やっぱり好きなことで生計を立てられることが幸せだから

  マツカサやエビスダイはご存知ですか?と、聞かれたが、知りませんと答えると、黄金色したマツカサと鮮やかな赤色をしたエビスダイは、獲れても売ろうとは思いませんよ!と仰る。

そう聞くと、いったいどれだけおいしいのかとやはり興味が湧いて仕方ない。鱗や皮が硬く処理が難しい魚なのだが、程よく脂のりが良く身はコクがあり皮がおいしい魚として皮つきの刺身にして食べるのが波田家の定番なのだそうだ。

漁師にしても農家にしても、一番おいしいものを食べられるのは一次産業従事者の特権だろうし、それは自然が豊かな地方でこその暮らしの中にあるのだろう。しかし、そんな漁師も担い手不足なのはどこも同じようだ。

漁師をやってみたいという人がおれば、私が持っている知識や技術は教えるよ

 漁師というと一国一城の主人で体系立てられた技術や知識を人から教わって技を磨いていくものではなく、見よう見まねで実践の中で覚えていくもので、習得した技術と知識は個人の資産としてあまり共有されるものではない様なイメージを持っていたが波田さんは、漁師をやってみたいという方がいればなんでも教えると言う。ただし、それを自分のものにしてこの海で食べられるようになるかどうかは、本人の強い意志が欠かせない。国が支援し新規就魚者向けの補助金もあるそうで1~2年の研修期間は食べていけるが補助期間が終わると95%くらいの人は、自分で食べていけるだけの技量を身に付けてないとして辞めていくというのが現状。やはり、食べていくということは簡単なことではない。漁師は厳しい仕事なんだ。

この地域の漁業者が共倒れにならないように。俺がやらなきゃ誰がやってくれる?

 高校卒業後、一時期地元を離れていた波田さんが帰って来て漁師になった頃、当時の宇田港では、定置網漁、一本釣り漁、磯目での海士漁がそれぞれ3割程度ずつでバランスが取れていて、多くの漁師が生計を立てていたそうだ。しかし、魚をターゲットにする定置網漁、一本釣り漁と違い、海士漁がターゲットにするアワビは、行動範囲が広いわけではないので獲り過ぎてしまうといずれその漁業資源は枯渇してしまう可能性がある。当時から先輩漁師たちが数百単位ではあるがアワビを中間育成し放流していたとのことだが、このままでこの先も本当に生計が立てられるのだろうかと危機意識を持ったという。定置網漁にしても漁師の高齢化もあり20年30年のスパンで考えるといずれバランスが崩れる時がやってくるだろうと。その時に、磯目の漁業環境だけでも持続性を確保できれいれば、何とか生計を立てられる漁師が残るのではないかと思い、先輩漁師たちの取り組みをより確実なものにできないだろうかと考えたという。

漁協職員との二人三脚。出来るんならやってみーっと、言ってもらえた

 当時、独身でタバコもお酒も飲まない波田さんは、一人なら半年くらい漁に出れば何とか食べていくことはできたそうで、漁を休んで試験場にアワビの種苗生産技術の習得しに3ヶ月間行くことを決意し漁協の堀さんという職員に相談をした。そして、堀さんと一緒に指導部門長に「研修に行けるように取り計らってもらえんだろうか」と掛け合い、「そうか、分かった。出来るんならやってみー」と後押しを得て技術取得に勤しんだ。私の話に耳を傾けてくれる人がおったのは、すごくありがたいことだったと、そうして堀さんと一緒に漁業環境が悪化していくことの予防に取り組み始めたのが出発点だったと当時を振り返った。

堀さんは、漁協内部の折衝や県との交渉ごとを。私は、種苗生産の実践と漁師仲間への呼びかけを

 最盛期には、年間2~3万個のアワビの放流に成功し、漁業資源の管理のため年50日程度の操業規制かけている状態でもひと月に3日も潜れば100万円くらいの収入を得ることができたそうだ。一時、ウイルスが発生しアワビが全滅するような危機もあり回復に5年くらいかかったこともあったが、種苗生産を続けていたことで良い種が残っていたので被害を最小限に抑えることができた。

波田さんが思い描いた漁業環境の持続性を確保し安定した漁獲量を揚げることは実現されたが、施設が老朽化し改修コストの負担が増えたこと、海士漁師も減少したことからアワビの種苗生産は終了することを5年前に決断されたそうだ。

出稼ぎしなくてもこの海で食べて行けるようになった

 アワビの種苗生産は終了したが、漁業資源を管理し持続性と共に漁獲量を確保し漁師の収入・生活を安定させるという考え方は広げることができた。一本釣り漁の不安定さを解消するため、1日数万円分程度の水揚げ量でも近場に漁礁を20箇所設置することで毎日漁に出られる環境が作られた。

波田さんのお話を聞いていると、漁師という仕事や地域で暮らすということは、その人の生き方と切り離すことができないものということを改めて感じさせられた。

最後に、漁師というものは、毎日生きているということを実感し、何のために生きているのかということを確認できる仕事だと言い、この45年間、前進しかないと言い聞かせながら全力投球の毎日だったと仰る波田さんの様な方のお話を聞けることも、阿武町の魅力の一つなんだ。

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