風に揺れたオリーブの葉が銀の波の様に見えた

農業や林業を通じて地域の自然環境を熟知している白松さんにこれまでの取り組みや地域の特性をお聞きした。

オリーブというととても温暖な地域で栽培されている植物のイメージを持っていたが、実はそうではないということ。白松さんは、2年前にNPO法人やまぐちオリーブ協会を立ち上げ、無農薬栽培のオリーブで産業を起こし地域の活性化と耕作放棄地の活用による地域資源の利用に取り組んでいる。

オリーブの葉の色を知ってますか?裏側が白っぽくて風に吹かれて葉が揺れると畑一面に銀の波が広がる様に見えたんです

 これは、白松さんが20代の頃にヨーロッパ6ヵ国を旅をした時、ギリシャで氷河が残る高所から平地に下る際に見えた一面に広がったオリーブ畑でのこと。上から見下ろした時には小さく見えたけど、実際に畑へ行ってみると樹齢400年にもなる大木のオリーブの木が何本もあった。結構寒いところでも立派に育っている姿を見て、オリーブの力強さを感じ阿武町でも栽培できるのではないかと思ったそう。

しかし、阿武町は海沿いから山間部までと起伏に富んだ自然環境がある。標高400mに位置する福賀地区では冬季は気温が氷点下になることも珍しくない。

試験的に何箇所も植えてみて阿武町でも栽培が可能なことが分かりました。福賀地区も鉢植えはダメだったけど路地栽培なら大丈夫です

 約10年近くの実証実験の末、平成30年12月本格的にオリーブ栽培のためのNPO法人を立ち上げた。オリーブというと日本では小豆島が産地として有名だが、調べてみると全国各地でその動きはある様だ。

しかし、白松さんが阿武町でやろうとしているオリーブ栽培はいくつか特別な要素がある。まず、無農薬栽培であること。これは人、環境への配慮と無農薬の方が需要が高いと踏んでのこと。一般的には定植後結実するまで4~5年かかるところを翌年には結実する独自の技術を開発。1本の収量を増やすことにも成功している。これらを含めて阿武町で無農薬のオリーブ圃場モデルを構築し、これを全国へ広げる事までが夢だと語る。

とはいえ、一人でここまでたどり着く事は難しいことの様に思うが? 

私は大学の非常勤講師もやっていましたので、そこでの出会いも大きかったです

文化人類学で環境問題を取り扱い、農業者、林業従事者として福賀地区を実体験ができるフィールドとして多くの学生を招き入れ色々なことを語り合い関係が生まれた。巣立っていった学生が社会人となり要職に就くこともあるし他にも色々な取り組みの中で構築されたネットワークの中で多くの協力者がいる。栽培技術の特許を申請していることも協力者の中に元特許庁の方がいるからだ。

それは、あんたがここに来にゃできんよ

 病弱だった父に代わり、高校生の頃から一家の柱として農林業をやってきた経験から山や里について豊富な知識がある白松さんは、山口県で初めて認定された民泊「農家民宿 樵屋」も運営されているので、一番おいしい地のものの食べ方を教えてくれた。

「竹藪へ行って、生えてる筍の周りの草を避ける。周辺を焚き火で囲んで話をしているうちに中が蒸れてトロントロンになった筍に味噌をつけて食べたら、ものすごくおいしいんですよね」

これは食べてみたいと思った。その場でその時にしかできないこと。これも地域の魅力のひとつだし、それは自然環境と楽しみ方を知っている地元の人がいるから成立することで、こういうことがたくさんある地域のことを豊かだと言うのだと思う。

「スイートコーンは、湯を沸かしてからもぎ取りに行けというくらい、鮮度が大事でその場で食べるのが一番おいしい。春なら1時間くらい散歩すれば15種類くらいの山菜も採れます」

白松さんからは、その場でしか楽しめない地域の魅力の話がたくさん聞ける。それは自然と向き合った暮らしの中で感じ考え行動してきた積み重ねがあり、地域に根を下ろし地域とともに生きているということだろう。

森林率が85%の阿武町は、山の幸に事欠かない。しかし、外から見ているだけじゃわからないこともある。

山は緑のダムってことを意識したことはありますか?

町村合併時に、家の裏山の町有林からいい松をほとんど切ってしまったら、それから旱魃と水害に随分と悩まされた。それは、木を切り過ぎたことで山自体の保水力が低くなってしまったからということだ。しかし、残った雑木類が成長して今では樹齢70~80年くらいの広葉樹も増えて来ているので、ため池の水が枯れることなく保水力が戻ってきていると感じている。地域にとっては良いことだ。

そういうことを発信していくのも自分の役割だと思っています。そのためにはただ話を聞いてくれではなく、キノコ狩りや山菜採りなどの楽しみも必要だと思います

 白松さんは、平成10年に白菜畑で防風林の枝打ち作業中に8メートルの高さからの転落事故で脊髄損傷し車椅子生活を余儀なくされている。目の前の白松さんは、大きな声で流れるように話をされる聡明な方だか、簡単に事故を乗り越えられたわけではないだろうし、それを簡単に言い表すことはできない。

 しかし、このことがきっかけとなり新たな取り組みも始められている。それは、人の健康·地域の健康·地球の健康をスローガンに掲げ誰にでも優しい社会を目指し、化学物質過敏症の方でも安心して住める村づくりだ。

「わしらがやらんと誰がこの阿武町を守るんかね?」

自分は思いつきと行動の間が少ないと思いますという白松さんは今日も地域密着の魅力を掘り起こす。阿武町の魅力がまた一つ増える。

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